蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

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ワークショップデザインに期待されるもの、のその先

DevLOVE現場甲子園2014 東日本大会 でワークショップデザインについて話してきた」というエントリを書いたのだが、大事なことを書き忘れていたので。

発表後にもらった質問と、その答え

発表後に同じ創トラックでの発表者でもあった上平さんから「話し合った末に出てきた答え(納得解)が浅いものであった場合にはどうするのか」という質問をいただいた。

その場では「こちらでは答えそのものに手を入れることはしない、一度では答えが出ないこともあるのでそれは何度も繰り返すとかそういう方向で考えるしかない」みたいなことを言った気がする。(ちなみに質疑応答で自分が何を言ったか、細かい部分はそうそう覚えていられないもんだなぁ、というのを実体験できて、変なところで感心している)

せっかくなので、いただいた質問に対する自分の意見をここにちゃんとまとめておく。自分の意見として断定的に書くところもあるけれど、あくまでひとつの意見だよ。

ワークショップでは、だいたい答えなんて出ない

スライドでも述べたけど、ワークショップは万能薬ではないし、即効薬でもない。だから、「ワークショップ一度やったけどダメだったじゃん」という感想が出てしまうとしたら、それ自体に誤解が含まれている。

教育学から見たワークショップデザインを研究している苅宿俊文先生は、その場が「ワークショップ」であることの前提条件は「コミュニティ形成(仲間づくり)のための他者理解と合意形成のエクササイズ」であることだとおっしゃっている。私のワークショップ論は苅宿先生の思想に大きく影響を受けているので、ワークショップはあくまでも「合意形成のエクササイズ」でしかないと考えている部分がある。

練習一度きりで何かのエキスパートになれる、と思う人は少ないのではないかな。それと同じことだと思えばわかりやすい。関わるメンバーみんなで目の前の課題を解決するために、どうしたらうまくいくかを練習しながらブラッシュアップしていくこと。それがワークショップの意義のひとつ(意義はもっといっぱいあると思うから、こう表現しておく)だと思うし、そのプロセスを考えるのがワークショップデザインだと思う。

参加者が持っている以上のものは出てこない

私は「対等な立場でお互いの力を引き出し合う」のが大事だと思っているのだけど、要するにそれは他所から何か持ってくるということではない。自分たちが持っているものを持ち寄って、交換したり掛け算したりするのだ。最初に持ち寄ったものが小さかったり薄かったりしたら、いきなり大きなものにならないのは当然だと思う。

ただ、その一度きりの結果で「浅いものしか生まれなかった」と言い切るのは、継続的な関係構築を否定することに似てくる。掛け算したものをさらに掛け算して、それをさらに掛け算、掛け算、掛け算...。それが継続的に繰り返されていくことで、「引き出し合う」関係から「高め合う」関係に変わっていくんじゃないかな。

継続的なコミットを自発的におこなうマインドに持っていくためのきっかけづくりとして、ワークショップをデザインできればそれでいい。私はそんなふうに考えている。

効果的だけど、効率的ではない

ワークショップの実践というのは、定性的にしか評価できない部分をひとつずつ繋げていく活動をする感じになる。社会的にはボランティアがやっている風なイメージを多く持たれているし、開発業界の中でも予算を取って行なう雰囲気はまだまだないと思う。

数字には(すぐには)直結しない。現在進行形では何が効いているのか実感しづらい。でもそうしたアクションの重要さは、開発界隈でも理解している人が増えてきているように見える。特にアジャイルを好む人にとっては、方法論は違えど親和性の高い話だと思うし、スタートアップ界隈の悩みもスライドで話した内容に近いものがたくさんあると思う。

もちろん、効率的ではないなりに、最大の効果がほしいところ。そのために、ワークショップをデザインすることが必要なのだ、と言いたい。

そんなこんなで、まだまだ話し足りない

前提や説明が足りていないのは十分わかっている。なにせ20分だったし、詰め込みすぎて抽象度高かったし。だから、質問が出る意図もすごくよくわかる。真剣に向き合おうと思ったら、話し足りないよね。

真摯に聞いてくださって、質問までいただけたこと、とにかく感謝です。これからもさらに勉強して精進しますので、お付き合いお願いします。

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