蠍は留守です考

蠍の輪郭を見つめてふける思惟の痕跡

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アクセシビリティとコミュニティ、未来へのアプローチ

このエントリは Web Accessibility Advent Calendar 2013 - Adventar 24日目のエントリです。

ここまでちゃんとしたエントリが続いたが、今日はポエム。技術的なことでもなく、コンテンツのことでもなく、コミュニティに関するウェブアクセシビリティ・ポエムである。

アクセシビリティについて最近思うこと

現代の、いわゆる「孤独な社会」などと表現される有りようは、識字率の高さに発端があるのかもしれないと考えたことがある。インターネット閲覧は識字の恩恵の際たるものなのかなぁと思ったりもする。

テキスト以外のコンテンツが増えてきたとはいえ、テキストがそのほとんどを占める情報の海。Wikipedia を見ればいいやって風潮が当たり前になっていて、オンラインであらゆる用事を済ませることができるようになっていく。

でもそれも、コンテンツが、テキストの数々が、アクセシブルなものであるから叶えられている。
ウェブのアクセシビリティを考える時に、私はいつもそこを考える。

そんなウェブアクセシビリティについて私が最近気になるのは、アクセシビリティに関わる活動そのものが、障害のある方や高齢者の方に向き過ぎているのではないかなぁということ。意識の啓蒙普及、制作者の知識の底上げ、実践と共有。それがすべて閉じた中でぐるぐる回っているように見える。本当はそんなことないのかもしれなくて、個人的な印象としてそう感じることがある、というぐらいの感じだけれど。

閉じた中でぐるぐる回ってるように見えるの図

コミュニティ同士のつながり

アメリカの都市論者ジェイン・ジェイコブスは、「コミュニティは定住者と出入りしている流動的な層があってはじめて安定する」と言っている。

内部的な関係と同時に外とのつながりがあること。その要素の二重性がコミュニティの本質であると考える時、ウェブ制作のコミュニティはあまりに内部的に閉じすぎていないかと不安になることがある。

アクセシビリティ関連コミュニティのはたらき

アクセシビリティ関連の団体やコミュニティは、継続して活動が続けられてきた。啓蒙や意識向上が目的だったり、草の根的な普及を目指したり... いろいろと行われてきた活動と携わるメンバーに尊敬の念を覚えつつ、私もそれを見つめてきた。

そういった活動においては、まずは直接的に距離の近い制作者やコンテンツホルダーのリテラシー底上げが目的でなのだと思う。でも、いつしか閉塞感や堂々巡りを感じるようになったり、悩んだりしている人もいるのではないかと感じている。それは個人個人の問題ではなくて、コミュニティとしての新陳代謝が関わっているのではないかな? なんて、勝手に想像してみる。

アクセシビリティをめぐる「重層社会」をつくる?

何かしらのきっかけや興味を経て、アクセシビリティ関連の活動にコミットしている人たちがいる。そういった人たちがきっかけを得たのと同じように、何らかの種を誰かに投げかければよいのではないか。そのためには、子どもたちにもっとアプローチする方向を取るのもアリではないのかなぁなどと、またまた勝手に考えた。

普及・啓蒙の目的意識を持った小さいコミュニティが、子どもたちのいるコミュニティと交わることで、個としての感情だけでなく心の中の市民性にまで訴える。コミュナルな関係を持った小さいコミュニティ同士が相互につながっていくような仕組みづくり。相互に関われば関わるほど必然的に多様化かつ多層化するので、重層的な社会(小さな社会ではあっても)を作れる可能性だってあるんじゃないかな。

今よりもう少し開いた形でそんなことができたら、何かが変わりそう。そう思っている。

コミュニティ同士が関わっているの図

アクセシビリティを身近に感じるために

今の子どもたちは、私達の年代以上にデジタルデバイスになじんだ生活を送るはずだ。プログラムを教える授業なんかがあったり、タブレットが教材になったり。そんな中で、アクセシビリティに対するリテラシーはどうだろうか。

自分がデバイスを使うことへの想像力。デバイスを使って何かを作るための想像力。自分が作ったものを誰かが使うことへの想像力。そんな学びの道を辿るであろう子どもたちに、アクセシビリティ関連コミュニティが働きかけられることって、たくさんたくさんある。

親子の会話と芽吹き、そして未来の大きなリテラシーへの図

さらに、親子や家族の会話が生まれるような関わり方ができたら、もっといい。そうしたらウェブアクセシビリティがもっと身近になるし、私達の見たことのないもっと素敵な世界を作る大人に育ってくれるかもしれない。なんか、いいな、そういうの。いいな。

言うは易し。少しずつでもできることを探したい

ウェブアクセシビリティへの意識は、ウェブ制作を目指す人だけに必要なものではないと思っている。子どもたちがどんな仕事につくのか、どんな夢を持っているのかは未知数かつ無限大だけれど、社会に出て行く子どもたちの中に芽吹きがあれば、こんなに嬉しいことはない。

冒頭で識字率に触れたけれど、かつては文字が読める・読めないのデバイドがあった。対面や口伝で伝えられてきた数々のことが、今は文字やデータの固まりとしてインターネットに溢れている。あらゆるものを伝えられるようでいて、識字の点や言語の違いによっては、むしろ断絶や分断をもたらす記号、「文字」。だけどインターネット上のテキストは、やっぱり素晴らしいものだなって思うの。

具体的にはまだわからないけれど、何かしらのお手伝いができたらいいな。何かしら、未来にアプローチできること。さて、何ができるかな。ね。

以上、Hitoyam がクリスマス・イブに送る、ウェブアクセシビリティ・ポエムでした。
メリー・クリスマス!

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